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24 juillet 2019 3 24 /07 /juillet /2019 10:43

(Pour mes amis français l'article est ici)

 

キーボードを前にして、去年の秋、日本で起こった素晴らしい出会いを文章で蘇らせようと、ずっと想いにふけていました。あまりにも有名な画家で、恐れ多くてお会いすることさえ諦めていたのに、一連の偶然が重なりお目にかかることができました。

意外にも、常識では無理だと思い込んでいても、心の声が大丈夫だと背中を押してくれるものですね。「夢を追いなさい、道を知っているから」。

 

この記事を自由の賛歌として書きたいと思いました。偶然を素直に受け入れる自由、他の人とつながりを持ち自分らしくある自由、愛する自由、コミュニケーションをとる自由、生きる自由、輝く自由

これで7回も「自由」という言葉を書きましたが、今のを含めると8回になります。8の数字は永遠を表しますから、限りのない自由というわけです。

竹内浩一先生のアトリエ

 

 

たまたまパリで知り合った日本画家の藤岡雅人さんが竹内浩一先生を私に合わせてもいいと誘ってくれたのは事の発端です。私は以前から竹内先生の画風が独特で素晴らしいと強く惹かれていて、画集も数冊を持っていました。そしてブログにも先生について記事を書いたことがありました。 そのためか、通訳の池内岳人さんと藤岡さんを伴って京都の閑静な住宅街にある画伯のお宅の前に着いた時、足が地に着いていないような気持ちでした。 竹内先生は家の中にあるアトリエに私たちを案内して下さって、奥様が外出されて、いらっしゃらないことについてお詫びを言って下さいました。

 

アトリエの竹内先生

 

髪結いの亭主

会話がいきなり始まりました。私の元主人は日本人だったから私は今でも日本の苗字を持っていること、そして彼の職業は映画監督だということで自然と私の苗字と映画が話題になりました。

竹内先生はアメリカ映画よりもヨーロッパの映画がお好きで、中でもフランス映画の「髪結いの亭主」が特にお気に入りだそうです。

パトリス・ルコント監督の一風変わったこの映画は愁いを帯びた幼い頃の甘酸っぱい夢の描写や官能的な世界がどこかで日本的で、心に残る作品でした。

 

それから絵につい語りました。なんと竹内先生が師事していた、自然を描く長い伝統を受け継いだ動物画で有名な山口華楊が198211月から19831月までパリのセルニュスキ美術館で個展を開いていたことが初めて知りました。

 

山口華楊

 

彼は作品が外国でどのように受け入れられるか心配していたようですが、きっとパリジャンにとって素晴らしい驚きだったと思います。

1989年にディアーヌ・ド・セリエー出版の「動物画家」シリーズに山口華楊の作品を紹介する素晴らしい画集が出版されました。

日本とフランスの画家の違いや共通点についても話しました。技法だけの違いでしょうか(例えば、洋画は油絵を指しています)。

 

絵描きは追求していることは何でしょうか。感情を表現しようとしています。モネは光が生み出す感動をキャンバスに表現しようとしていましたが、伊藤若冲も違う方法で同じことを求めていました。 竹内先生がおっしゃっていましたが、絵を描くことによって境地に達することができれば、絵描きとしては本望です。それもまた、国とは関係なく大部分の芸術家が求めていることでしょうと言っておられました。

 

自然を心から愛する方で、将来についても真剣に考えていらっしゃるようでした。「われわれ人間の未来は自然の未来と密接な関係にあります」と。 先生にお会いして、大変ご謙虚で飾らない方だと感じました。「日本画の中で一番お気に入りの作品は何ですか?」と聞かれて、「もちろん、先生の作品です!」と即答したら素直に驚かれた様子で照れ笑いをされていました。 しかし先生は大変な巨匠で、先生に憧れてついて行こうとする若手の画家が大勢いるとわかって嬉しくなりました。 アトリエには弟子がいませんが、教材やビデオを発行したり、京都私立芸術大学で教鞭をとったこともあります。

大津絵

 

子供の絵に見られる素直な表現がお好きで、また江戸時代に人気を博した大津の職人が作った大津絵の素朴な画風がお気に入りでした。最近パリ日本文化会館でも大津絵の展示会がありました。

 

竹内先生は私同様、伝統に縛られず心のままに絵を描く画家がお好きで、不思議なオーラを放つ田中一村の作品に関しても趣味が一致していました。 高知でお会いした日本画家、荒木陽一先生とその生徒さんたちと同じような不思議な親近感を覚えました。また、同じ波長で通じ合っている気がいたしました。 竹内浩一先生の作品のように、時間をかけて綿密に描かれた作品から樹木のエネルギーのようなものを感じます。幾層にも重ねられた岩絵具がまるで年輪のように思えるのです。 先生の作品を前にしていると、何百年の老木を前にした時と同様、湧き出る力、知性、安らぎを感じます。

それから彼のところまで導いてくれた不思議な運命についても話が及びました。3人がその日一緒になれたのは縁があったからと「縁」という日本の言葉について説明してくださいました。

その日のように、二度とない瞬間を大切に生きなければいけない「一期一会」の意味も教えてくださいました。 暫しの沈黙が訪れました。静けさ、そしてその場にいる人の存在を深く味わうのです。

 

今度はちょっと意外な話題に移りました。何と竹内先生が私たちに歌麿の春画のプライベートコレクションを見せてくださるとのこと。驚きのあまり思わず笑ってしまった私でしたが、考えてみれば男性ばかりに囲まれてこのような作品を見るシチュエーションはかなり珍しいものです。

竹内先生は絵の技法を特に注目され、私が登場人物の体の描写は解剖学的にあまり正しくないと指摘し、やはり当時の絵師にとってリアリズムが最大の目的ではなかったようです。

 

 

華やかな着物の生地の間からチラリと覗く裸体、生々しさの中に漂う気品というコントラスト、思わず失笑してしまうユーモラスな場面などの要素が絶妙に合わさって、ユニークで魅力的な作品を作り出すのです。

この性風俗を描いた絵はキリスト教の宣教師が日本に来る以前の、自由に出回っていた創造性豊かな時代の名残りでもあります。

フランスは性に対して開放的だとお考えのようでしたが、私はそれほどでもないと述べた後、たまにそのようなテーマの展示会があることを思い出しました。 2015年に最近閉館したピナコテークの春画の展覧会が話題になりましたし、そしてこの頃もパリで「サロ」と題したエロティックな絵をテーマにしたサロンが開催されています

歌麿が描いた春画の秘密のコレクションの次に、今度は先生が創作中の作品を私たちに見せてくださいました。川の絵の下書きでした。

 

様々な大きさや濃さの無数の円が描かれていて、まるで水の分子を表しているようでした。 先生が描きたいのは、ご自身の理想でもある清流の透明で清な水だと打ち明けて下さいました。  

 

 

先生の言葉を思い出しました。「時々意味もなく空間を眺めることがあります。空に見えても実は多くのものがそこに存在しています。絵もそのようなものかもしれません。

その下準備をつぶさに見て感じたのは、画家にとって描くことは瞑想するのと非常に似ていることと、悟りにも導くことがあるとがわかりました。 日本旅行の後半は滝や川を見る目が少し変わったような気がします。

 

出会いの魔法は今も続いています。今回は大雑把な思い出しか書けなかったのですが、またいつかもっと詳しい記事を書こうと考えています。

 

取り急ぎ、短い時間でしたが有意義で素晴らしいこのひと時を可能にしてくださった竹内先生と同席の方に心から感謝したいと思います。

 

 

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